怪力乱神を語らず
ものごころついたころから、人並みに、神仏や霊魂や来世には興味があった。神仏や霊魂は見たり触ったりできない。来世については、行ったことがないし、死んだ人は戻ってこないから、分かりようがない。これらについての書物はあまたあるが、どうも納得がいかない。物理や化学をかじってからは、「霊魂が意識を持って見たり聞いたりあるいは何らかの行為をするとして、そのために必要なエネルギーはどうするのだろう」と考えたり、「霊魂があって、死後も意識があるのならば、アルツハイマーを患って、記憶や判断力がなくなった人が亡くなった後、記憶は無くなったままなのだろうか。もし死後の意識が、健康な時の記憶を取り戻せるのであれば、生前にどうしてその記憶を取り戻せないのであろうか。そう考えると、電源を切った後のパソコンのように、死後は意識も記憶も感覚も判断力もなくなるのではないだろうか。」などと考えたこともあった。しかし、結局、科学的な根拠や確たる証拠がないことは、あるのかないのかなどと、いくら考えてもしかたがない、妄想のたぐいではないか。
世の中のことがすべて科学で理解できるというのは、かいかぶりすぎなのではないか。例えば、宇宙は、ビッグバンで始まったとされている。ビッグバンの超高温超高密度では、現在わかっている物理法則の適用の範囲外で、詳しいことは解明できないという。夜空に輝く無数の星々を眺めたとき、あるいは生命の精妙な営みを知ったとき、言葉を失う。この世の中には説明できないことがあってもよいのではないか。論語に「これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為す。是れ知るなり。」[1]とある。また、「怪力乱神を語らず」[2]とも。不思議な現象や存在については語らないほうがよい。
病気や災害などで愛する肉親やパートナーや友人を亡くした人たちは、死後に再会できることに望みをつないでいる。そのような方々に、大した根拠もなく、来世などない、などとはどうしても言えない。言ってはいけない。愛する人に死後再会できる、と考えることは夢があって、とても素敵だ。
[2] 「子怪力乱神を語らず」「怪」は尋常でないこと、「力」は力の強いこと、「乱」は道理に背いて社会を乱すこと、「神」は神妙不可思議なこと。人知で推しはかれず、理性では説明できないこと。論語(述而) [広辞苑 第七版]